家にも職場にも居場所がなかった――7年ぶりの親との同居と、家を出た日【Day 31】

自分史

まず、結論から書きます。

俺はこの時期、家にも職場にも居場所がありませんでした。約7年ぶりに親と同居したのに、家にいたくなくて、朝は用事を済ませたらすぐ家を出ていた。でも今は、それを「協調性の欠陥」だとは思っていません。ただ、自分に合う場所を、まだ選べていなかっただけです。

俺は47歳、転職30回、自己破産、生活保護、糖尿病に狭心症。完璧からは一番遠い人間です。家にも職場にも安らげる場所がない人、家族とどうしても合わない人にこそ、読んでもらえたらと思います。

Day 30の続き――引っ越して、約7年ぶりに親と同居を始めた

前回は、初めてのコールセンターでクレームが続き、結局すぐ辞めた話を書きました。そのあと短い居酒屋の仕事もフードバンクに頼った時期も経て、俺は暮らしていた街を離れることになりました。

Day 30(コールセンターを辞めた話)はこちら

ちょうどその頃、親から「一緒に住まないか」と誘われました。次の仕事は家賃が別にかかる話だったこともあり、家賃が浮くならと、俺は引っ越して親と同居することにしました。親と一緒に暮らすのは、約7年ぶりでした。

2019年のことです。真冬は過ぎていたはずなのに、一度降ればすぐ雪が積もる。そういう場所でした。新しい土地で、久しぶりの親との生活。傍から見れば、落ち着いた再出発に見えたかもしれません。でも、実際はそうなりませんでした。

家にいたくなかった――朝は用事を済ませたら、すぐ家を出ていた

新しい職場は、自動車部品のネットショップを運営する会社でした。家から車で10分ほど。仕事は9時からで、8時半に出ても十分間に合う距離です。

それなのに俺は、8時を過ぎるともう家を出ていました。理由は単純で、家にいたくなかったからです。朝は食事と歯磨きとトイレ、最低限のことだけ済ませて、さっさと出る。そしてコンビニでコーヒーを買って、一服してから会社に向かう。それが毎日の習慣になっていました。

帰りも同じです。まっすぐ帰らず、コンビニに寄って一服してから家に入る。そのうち、それでも足りなくなって、ジムやスーパー銭湯に寄って、家にいる時間をとにかく減らすようになりました。土日も、たいていネットカフェで過ごしていました。

家庭も職場も、どちらも落ち着ける場所じゃなかった

同居を始めてすぐ、俺は自分が共同生活に向いていないと実感しました。親からは「一緒に住んでいるんだから、協調性を持ってこっちに合わせろ」と言われました。今になって思えば、それは親の側の当たり前の言い分でもあります。一緒に暮らすなら、合わせるところは合わせる。何もおかしいことは言っていません。

ただ、当時の俺には、それがどうしてもうまくできなかった。家は、安心できて落ち着ける場所ではなくなっていました。

そして、逃げ込むはずの職場も、同じように落ち着ける場所ではなかったんです。よく、家庭を「安らげる第一の場所」、職場を「第二の場所」と言ったりします。俺には、そのどちらもありませんでした。家にも職場にも居場所がない。今振り返っても、あの時期はしんどかったと思います。

家にも職場にも居場所がないと感じても、それは性格の欠陥ではなく、まだ自分に合う場所を選べていなかっただけかもしれません。

得意なはずの数値分析も、居場所がなければ力は出せなかった

仕事は、ネットショップの運営が中心でした。商品の仕分けなんかもやっていましたが、正直、細かいところはあまり覚えていません。それくらい、当時の俺には余裕がありませんでした。

途中から、数値の分析も任されるようになりました。本当なら、俺はこういう数字を扱う仕事が嫌いではないんです。昔から数字を見るのは好きな方でした。だから、条件だけ見れば「向いている仕事」だったはずなんです。

それでも、力を出せませんでした。上司にあたる人とどうしても折り合いが悪く、何をどうしていいのか分からない。得意なはずのことすら、頭に入ってこない。今なら分かります。どんなに向いている仕事でも、居場所がなければ力は出せない。能力の問題というより、環境との相性の問題でした。

ミスを詰められて限界に――「もうやめる」と言ってしまった

ケアレスミスが多く、注意を受けることが続きました。そしてある時、ミスをして上司に詰められたとき、俺は頭の中が真っ白になって、パニックのような状態になってしまいました。

その後の話し合いの中で、俺は「もうやめる」と言ってしまったんです。冷静に考えて出した結論ではありませんでした。限界が先に来て、言葉が口から出た。そういう辞め方でした。

この「限界が来ると、すぐ辞めてしまう」という癖は、この時が初めてではありません。何度も繰り返してきたことです。そのあたりはDay 8(すぐ辞めてしまう思考)に書いています。ただ、当時をただの「また逃げた」で片づけたくはありません。あの時の俺は、限界のサインを無視しなかった、とも言えるからです。

「謝って戻れないか」――親との関係が、決定的に悪くなった

辞めることを親に伝えたとき、返ってきた言葉は「上司に謝って、戻れないのか」でした。

親からすれば、まっとうな心配だったと思います。でも当時の俺には、それが「お前が悪い」と言われたように聞こえました。自分の限界を分かってもらえなかった、という感覚です。

もともと良好とは言えなかった親との関係は、これが決定打になって、さらに悪くなっていきました。どちらが正しいという話ではありません。ただ、俺と親は、この件でうまくかみ合わなかった。それだけのことでした。

「二度と敷居をまたぐな」と言われて、俺は家を出た

仕事を辞めたあと、俺は体調を崩しました。車を運転している最中に急に苦しくなって、病院に行ったら、体が限界のサインを出していました。メンタルも、もう限界に近かったんだと思います。

そんな状態で、俺は「家を出る」と決めました。次の仕事に移ることも含めた決断でした。親からは「絶対に家を出ることは許さない」と言われ、それでも出ると言うと、「二度と家の敷居をまたぐな。それでもいいのか」と問われました。

普通なら、こたえる言葉だと思います。でも当時の俺は、むしろ「喜んで」と思うくらいでした。それくらい、あの家は俺にとって、居続けられる場所ではなかったんです。

今振り返っても、家を出たこと自体を後悔はしていません。あれは、親不孝で無責任な逃げというより、自分の居場所を選び直すための一歩だったと思っています。ちなみに、この時の親の言葉は、数年後の出来事に効いてくることになります。それはまた、いつか書きます。

自己破産が許可された――終わりじゃなく、一区切りだった

ちょうどこの頃、もう一つ、大きな区切りがありました。前に暮らしていた街にいた頃から進めていた自己破産の手続きが、2019年に正式に許可されたんです。

自己破産と聞くと、「人生の終わり」みたいに感じる人もいるかもしれません。俺自身、手続きの間はしんどかった。毎月、収支の報告書を出し続けるような日々でした。

でも、いざ許可されてみると、終わりというより「やっと一区切りついた」という感覚の方が強かったです。長く背負ってきた借金に、区切りがついた。もちろん、それで生活が急に楽になったわけではありません。ただ、自己破産は、人生の終わりじゃなくて、立て直しのための節目でした。少なくとも俺にとっては、そうでした。

振り返り――居場所がなかったのは、欠陥ではなく相性だった

当時の俺は、全部を「自分がダメだからだ」と見ていました。親と合わないのは協調性がないから。仕事で力が出ないのは能力が落ちたから。すぐ辞めるのは根性がないから。自己破産は人生の失敗。全部、自分を責める材料でした。

でも今は、こう見ています。

出来事当時の見方今の見方
親と同居がうまくいかない自分に協調性がない合う・合わないの相性の問題
家にいたくなかった自分がわがまま落ち着ける場所がなかっただけ
得意な数値分析も力が出ない能力が落ちた環境との相性で力は変わる
限界で「やめる」と言ったまた逃げた限界のサインを無視しなかった
家を出る決断親不孝で無責任居場所を選び直す一歩
自己破産が許可された人生の終わり立て直しのための節目

もっとも、俺が「相手のことを考えず、自分中心だった」という根っこは、この頃もまだ抜けていませんでした。そのあたりはDay 29Day 30にも書いています。居場所がなかったのは相性の問題。でも、その相性をこじらせていた一因が自分の中にもあった。両方とも、本当のことだと思っています。

完璧な人間とはほど遠い自分を、それでも少しずつ整理していく。その原点になる考え方はDay 1(60点思考)に書いています。もし「ちゃんとできない自分」を責めてしまう方がいたら、ここも読んでみてください。

自分史と『考え方』をどこから読むか――読者タイプ別ナビ

家庭や職場に居場所がなくてつらい人・すぐ辞める自分を責めてしまう人へ
限界で辞めてしまう癖はDay 8、自分中心だった話はDay 29Day 30、土台になる考え方はDay 1へ。

自分史の続き・前の話が読みたい人へ
時系列でさかのぼるならDay 30Day 29Day 28Day 27へ。

ブログ全体の考え方を知りたい人へ
まずはDay 1Day 3から読むと、この自分史の全体像がつかめます。

家を出て、俺の人生はまた新しい場所へ移っていきます。次回は、そのあとの話です。

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