1979年(昭和54年)に何があった?俺が生まれた年の日本と世界を振り返る【Day 14】

自分史

今日は少し視点を変えて、俺が生まれた年──1979年(昭和54年)に何があったのかを振り返ってみようと思います。

1979年は、世界も日本も大きく動いた年でした。イラン革命をきっかけに第二次オイルショックが始まり、アメリカではスリーマイル島の原発事故が起きた。日本では初めての共通一次試験が実施され、ソニーがウォークマンを発売した年でもあります。

この記事を読めば、1979年に世界と日本で何があったか、当時どんなテレビ・映画・音楽が人気で、物価は今とどれだけ違ったのかが、ひと通り分かります。

俺は47歳、転職30回、自己破産、生活保護、糖尿病に狭心症。完璧からは一番遠い人間です。そんな俺が生まれた年を、雑学として読んでもいいし、俺の自分史の出発点として読んでもらってもいいです。

1979年(昭和54年)は、こんな年でした

結論から言うと、1979年は「転換の年」でした。世界では中東情勢が揺れ、エネルギー危機が再び世界経済を直撃しました。日本では受験制度が変わり、新しい技術や遊びが暮らしに入り込んできた年です。

細かい出来事はこのあと順番に並べますが、迷ったらここだけ覚えてもらえれば十分です。1979年は、世界も日本も大きく動き、暮らしも今とはまるで違った。そしてその年に、俺は生まれた。それだけ押さえて読み進めてください。

1979年の世界で起きたこと

まず世界から。この年は、後の世界情勢を左右する出来事がいくつも重なりました。

イラン革命と第二次オイルショック。1979年1月、イラン革命によって中東の石油供給が不安定になり、原油価格が急騰。1973年に続く第二次オイルショックが本格化しました。エネルギー危機は、そのまま日本の物価にものしかかってきます。

スリーマイル島の原発事故。同じ年の3月28日、アメリカ・ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で炉心の一部が損傷する事故が発生。原発の安全性が世界的に議論されるきっかけになりました。

東京サミット。6月には主要国首脳会議(サミット)が東京で開かれ、石油危機への対応が話し合われました。日本が国際舞台で存在感を示した場面でもあります。

天然痘の根絶へ。長く人類を苦しめてきた天然痘が、世界的な撲滅運動の末にこの時期ほぼ封じ込められました。翌1980年にWHOが根絶を宣言します。

朴正煕大統領の暗殺。10月26日、韓国の朴正煕大統領が側近に暗殺されました。隣国・韓国の政治が大きく動いた事件です。

イラン・アメリカ大使館人質事件。11月、テヘランのアメリカ大使館が占拠され、長期にわたる人質事件に発展。米・イラン関係が決定的に冷え込んでいきました。

こうして並べると、俺が生まれた年は、世界がかなり揺れていたんだなと思います。

1979年の日本で起きたこと

次に日本。世界の余波を受けつつ、暮らしの中にも変化が入ってきた年でした。

共通一次試験のスタート。1979年、国公立大学の入試で初めて「共通第一次学力試験」が実施されました。今の大学入学共通テストにつながる仕組みの始まりです。

第二次オイルショックの影響。世界のエネルギー危機を受け、日本でも物価が上がり、省エネが叫ばれました。前回のオイルショックの記憶もあり、社会全体が再び引き締まった空気になります。

東名高速・日本坂トンネルの火災事故。7月、多重衝突から大規模な火災が発生し、長時間にわたって通行止めとなる大事故が起きました。高速道路の安全が問われた出来事です。

インベーダーゲームの大流行。前年に登場した「スペースインベーダー」がこの頃も社会現象級の人気で、喫茶店やゲームセンターに人が集まりました。

ソニー・ウォークマンの発売。1979年7月、ソニーが初代ウォークマンを発売。「音楽を持ち歩く」という新しい習慣が、ここから世界へ広がっていきます。今のスマホで音楽を聴く文化の、はるか源流にあたるものです。

1979年に流行った音楽とファッション

出来事だけでなく、流行を見るとその年の空気がよく分かります。

音楽。この年は名曲がそろっています。ゴダイゴの「銀河鉄道999」や「ガンダーラ」、八代亜紀の「舟唄」などがヒット。アニメ主題歌と歌謡曲が同じチャートに並ぶ、にぎやかな時代でした。

アニメ。劇場版『銀河鉄道999』が公開され、主題歌とともに大ヒット。『宇宙戦艦ヤマト』のブームも続き、アニメが子どもだけのものではなくなっていく流れがありました。映画の数字は、このあとのランキングであらためて紹介します。

ファッション。「ニュートラ(ニュートラディショナル)」と呼ばれる上品めのスタイルが人気を集める一方、原宿では「竹の子族」が派手な衣装で踊り、ディスコも盛り上がりました。きれいめと派手めが同居していた時代です。

1979年に人気だったテレビ番組・視聴率ランキング

当時はテレビが娯楽の中心でした。今では考えられないような高い視聴率が並びます。

ドラマ・時代劇。NHKの大河ドラマ『草燃える』(主演・石坂浩二)が放送され、最高視聴率は34.7%。TBSの時代劇『水戸黄門 第9部』は最終回で43.7%という、この番組史上最高の数字を記録しました。今のドラマで20%取れば大ヒットと言われることを考えると、桁違いの数字です。

バラエティ。TBS『8時だョ!全員集合』が国民的人気で、ザ・ドリフターズの加藤茶と志村けんによる「ヒゲダンス」がこの年に大ブームになりました。ほかにも『カックラキン大放送!!』(堺正章、研ナオコ、野口五郎ら)など、歌手とお笑いが入り混じった番組が茶の間をにぎわせていました。

その他。朝の生情報番組『ズームイン!!朝!』(日本テレビ、司会・徳光和夫)がこの年スタート。今に続く朝の情報番組の原型が生まれた年でもあります。

1979年の映画ランキング(邦画・洋画)

映画館もにぎわっていました。邦画と洋画、それぞれの配給収入ランキングのトップ5を見てみます。

邦画トップ5(配給収入)

順位作品配給収入
1銀河鉄道99916.5億円
2あゝ野麦峠14.0億円
3男はつらいよ 噂の寅次郎11.6億円
4男はつらいよ 翔んでる寅次郎10.7億円
5トラック野郎・一番星北へ帰る10.6億円

洋画トップ5(配給収入)

順位作品配給収入
1スーパーマン28.0億円
2ナイル殺人事件19.0億円
3グリース17.5億円
4ジョーズ216.5億円
5チャンプ/エイリアン14.5億円

邦画では国産アニメの『銀河鉄道999』がトップに立ち、洋画では『スーパーマン』が圧倒的。日本のアニメとアメリカのヒーロー大作が、同じ年の映画館を沸かせていました。

1979年に活躍していた人たち

当時、茶の間やステージで人気を集めていたのは、こんな顔ぶれです。

音楽・アイドル。沢田研二、郷ひろみ、野口五郎、ピンク・レディー、八代亜紀など。歌謡曲とアイドルが全盛で、テレビの歌番組が毎週にぎわっていました。アニメ主題歌で人気を集めたゴダイゴも、この年の顔のひとつです。

お笑い・バラエティ。ザ・ドリフターズ(いかりや長介、加藤茶、志村けんら)が国民的人気。研ナオコ、堺正章、タモリといった面々もテレビで活躍していました。

俳優。大河ドラマ主演の石坂浩二をはじめ、時代劇や刑事ドラマが人気で、銀幕でもブラウン管でも実力派俳優が支えていた時代です。

こうして名前を並べると、今でも知っている人がたくさんいます。俺が生まれた頃に活躍していた人たちが、その後何十年も第一線で見られたというのも、なんだか不思議な感じがします。

1979年と今、物価はどれだけ変わったか

当時を実感するには、物価を比べるのが一番です。おおよその目安ですが、こんなに違います。

項目1979年(当時)2026年(現在)変化の目安
大卒初任給約10万円台約23万円前後約2倍
ラーメン1杯約300円台約1,000円前後約3倍
映画チケット約1,300円約1,900円約1.5倍
コーヒー1杯約250円約500〜600円約2〜2.5倍
タクシー初乗り約300円台約500円前後約1.7倍

※ 金額はおおよその目安です。地域や店によって差があります。こうして見ると、ラーメンが約3倍になっているのが一番ピンときます。給料も上がっているとはいえ、暮らしの感覚はずいぶん変わったんだなと思います。

今あって当時なかったもの/当時あって今ないもの

物価以上に時代の差を感じるのが、「あるもの・ないもの」の違いです。

今あって、1979年になかったもの。スマートフォン、インターネット、コンビニエンスストア(全国的な普及はもっと後)。今では当たり前のものが、当時はまだ存在しないか、ごく一部でした。

1979年にあって、今はほとんど見ないもの。街角の公衆電話、分厚い電話帳、レコード、カセットテープ、ダイヤル式の黒電話、フィルムカメラ、ブラウン管テレビ。どれも当時の暮らしの主役だったものばかりです。

俺が生まれた頃に当たり前だったものの多くは、今ではもう見かけません。47年というのは、そういう時間です。

47年で、世の中はこんなに変わった――その年に俺は生まれた

こうして1979年を振り返ると、世界も日本も、テレビや映画の中身も、暮らしの道具も、ここまで変わったのかと改めて思います。スマホもネットもなく、音楽はレコードやカセットで聴き、電話は黒電話だった時代。そこから今までを、俺はゼロから生きてきました。

大きな歴史の話と、俺みたいな一人の人間の話は、本来つながっています。世界が揺れていたこの年に生まれた赤ん坊が、転職を30回くり返し、自己破産して、47歳で生活保護を受けながら人生をやり直そうとしている。それも、1979年から続いている一本の時間の話です。

その俺が、生まれてからどんな子どもだったのか。よかったら、自分史のほうも読んでみてください。

この年に生まれた俺が、赤ん坊〜幼少期にどんな子どもだったかは、こちらに書いています。猫の鳴き声で泣いていた話から始まります。

俺の爆誕ストーリー――生まれてからずっと「普通じゃなかった」子ども【Day 11】

小学校時代の話も続きであります。通知表に「明るくニコニコ」と書かれたのに、本当は人見知りだった頃の話です。

通知表には「明るくニコニコ」と書かれた。でも本当は人見知りだった俺の小学校時代【Day 12】

そのまま中学校時代へ。「もっと成績いいと思ってた」と言われたけど、実は真ん中より下だった頃の話につながります。

「もっと成績いいと思ってた」と言われた。でも実は真ん中より下だった俺の中学校時代【Day 13】

今日の記録/この年に生まれた俺の話を、もう少し――読者タイプ別ナビ

最後に、今日の記録を軽く残しておきます。体重 64.65 kg、歩数 8,625 歩。睡眠は約7時間37分。1979年の話を調べながら、いつも通りの一日を過ごしていました。

ここまで読んでくれた人へ。あなたの関心に合わせて、次に読む記事を選べるようにしておきます。

・俺が生まれた直後〜幼少期の話を読みたい → Day 11(幼少期)

・小学校時代の話を読みたい → Day 12(小学校)

・中学校時代の話を読みたい → Day 13(中学校)

・考え方の土台(60点思考)を知りたい → Day 1

・結果が出ないとすぐ諦めてしまう → Day 7

・転職を繰り返してしまう → Day 8

・どん底から立ち直りたい → Day 9

・シリーズ全体を見たい → Day 3(全体像)

1979年に生まれた俺の人生フルモデルチェンジは、まだ途中です。続きも、よかったら追ってください。

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