働いていたのに、お金は残らなかった――デリバリー依存と10万円の請求【Day 36】

自分史

はじめて読む方へ。俺は47歳、これまで転職を30回くり返し、自己破産をして、今は生活保護を受けています。糖尿病と狭心症も抱えていて、完璧という言葉から、たぶん一番遠いところにいる人間です。

この記事はDay 35(コールセンターで、組織に合わせられなかった話)の続きです。

まず結論から言います。俺は働いていたのに、お金が全然残りませんでした。疲れた体を、玄関に届く温かい食事で埋めているうちに、デリバリーへの支出は月10万円を超えていました。後払い決済の限度額は、知らないうちに上がっていて、ある日10万円の請求が来ました。今になって思うのは、あれは意志が弱かったからじゃなく、心とお金の余裕がなくなると、人は目先の小さな安心にすがってしまう、ということでした。

Day 35の続き――コールセンターで、また働き始めた

コールセンターの仕事を、俺は3ヶ月で契約解除になりました。その話はDay 35に書いた通りです。

それでも、また似たような仕事に就きました。今度は大手通信系の問い合わせ対応です。2022年の春から秋にかけて、およそ半年ほど。前回のことがあったので、正直、続けられるかどうか自信はありませんでした。それでも、働かないわけにはいかない。生きていくにはお金がいる。理由はそれだけでした。

収入はあった――でも、心の余裕はなかった

この時期は、Day 34に書いたリヤカーの訪問販売とは違って、ちゃんと収入がありました。毎日決まった時間に働いて、決まった給料が入る。数字の上では、生活が回っていてもおかしくなかったはずです。

でも、お金は残りませんでした。Day 34のときは「収入がゼロだから余裕がない」という、わかりやすい話でした。今回は違います。収入はあるのに、心の余裕がなかった。狭心症の手術のあと、体も気持ちもすり減ったままで、働いて帰るだけで一日が終わっていく。そんな毎日でした。

疲れて帰ると、デリバリーに頼るようになった

仕事から帰ってくると、もう何もする気力がありませんでした。買い物に行って、料理をして、片づける。その一連のことが、どうしてもできない。頭ではわかっているのに、体が動かないんです。

そんなとき、スマホで注文すれば、温かいものが玄関まで届く。最初は「今日は疲れたから」と自分に言い訳をしていました。それがだんだん、「今日も」になっていきました。

温かいものが玄関に届く――それだけで少し救われた

今振り返ると、俺はデリバリーそのものが好きだったわけじゃないと思います。あの頃の俺にとっては、玄関に温かいものが届くという、ただそれだけのことが、小さな救いだったんです。

誰とも話さなくていい。何も準備しなくていい。ドアを開ければ、湯気の立つ食事がそこにある。心がすり減っていた俺には、その手軽さと温かさが、なんとか自分を保つための頼みの綱になっていました。

デリバリーサービスが悪いわけでは、もちろんありません。むしろ、あれに助けられていた面もあった。ただ、俺の使い方が、だんだん「頼る」から「すがる」に変わっていったんです。

気づけば、月10万円を超えていた

一回の注文は、そんなに大きな額じゃありません。数百円から、せいぜい千数百円。だから「これくらいなら」と思ってしまう。その「これくらい」が、毎日積み重なっていきました。

あとで計算してみて、愕然としました。デリバリーへの支出が、月に10万円を超えていたんです。働いて得た収入の、かなりの部分が、玄関に届く温かさに消えていました。

でも、その最中は、自分がどれだけ使っているのか、まったく実感がありませんでした。一回一回が小さいから、全体が見えない。余裕がないときほど、目先のことしか考えられなくなる。今ならそう理解できますが、当時はただ、なんとなくお金が足りない毎日を過ごしていました。

知らないうちに限度額が上がっていた――10万円の請求

俺はその支払いに、後払い決済を使っていました。手元に現金がなくても注文できる。それが便利で、つい頼っていました。

ある日、請求を見て、言葉を失いました。10万円。後払い決済の限度額が、いつの間にか上がっていて、そこまで使えてしまっていたんです。自分では「そんなに使えるはずがない」と思い込んでいたのに、気づかないうちに天井が高くなっていた。

これは後払い決済という仕組みが悪い、という話ではありません。仕組みは仕組みとして、ちゃんと使えば便利なものです。問題は、余裕のない俺が、その天井の高さに気づかないまま、目先の安心を買い続けていたことでした。請求書は、俺の余裕のなさが、はっきりと数字になって表れたものでした。

使いすぎは意志の弱さではなく、余裕のなさだった

当時の俺は、自分を責めました。「金銭管理もできない、意志の弱い人間だ」と。でも今は、少し違う見方をしています。

心とお金の余裕がなくなると、人は目の前の小さな安心にすがってしまう。先のことを考える力も、自分を止める力も、余裕があってこそ働くものです。余裕がなくなれば、その力もいっしょに削られていく。俺の使いすぎは、意志が弱かったからではなく、そもそも判断する余裕そのものが残っていなかったからでした。

お金と心の余裕が土台になければ、働いていても生活は崩れていく。このことはDay 34でも書きましたが、あのときは「収入ゼロ」の話、今回は「収入はあるのに」の話です。形は違っても、根っこは同じでした。

すぐ辞める癖と、続かなかった働き方

結局、この通信系の仕事も、長くは続きませんでした。体も心もすり減ったまま、お金の不安だけが積み重なっていく。そんな状態で、ちゃんと働き続けられるはずがなかったんです。

俺には昔から、仕事がすぐに続かない癖がありました。その癖のことはDay 8に書いています。でも、今になって思うのは、それは単なる「根性のなさ」ではなく、続けられる土台がそもそも整っていなかった、ということでした。

振り返り――収入があっても、土台がなければ崩れる

この時期を振り返って、一番強く思うのは、「収入があるかどうか」だけでは、生活は決まらないということです。

いくら働いて収入があっても、心とお金の余裕という土台がなければ、生活はじわじわ崩れていく。俺の場合、その崩れが、デリバリー依存と10万円の請求という形で表れました。当時は自分の欠陥だと思っていたことも、今は「土台がなかっただけ」と、少し落ち着いて見られるようになりました。

どこに身を置くか、どんな土台の上で働くか。そのことの大切さはDay 31に、そして俺の考え方の一番の土台はDay 1に書いています。

迷ったら、ここだけ。
お金を使いすぎたのは意志が弱かったからではなく、心とお金の余裕がなくなると、人は目の前の小さな安心にすがってしまうからかもしれません。

当時と今の、見方の整理

出来事当時の見方今の見方
働いてもお金が残らなかった自分は金銭管理ができない欠陥がある心の余裕がなく、目先の安心にお金が流れていた
デリバリーに頼るようになっただらしない、甘えている疲れた体を保つための、その時の救いだった
月10万円を超えていた意志が弱い、自制心がない余裕のなさが判断力を削っていた
限度額が上がっていて請求が来た自業自得、また失敗した余裕のなさが表面化したサインだった
使いすぎを止められなかった人としてダメだ余裕がないと、人は目先の安心にすがる
収入があっても崩れた稼ぎが足りないだけ土台(心とお金の余裕)がなかった

自分史と『考え方』の読み方ガイド

お金の使いすぎや依存で、自分を責めてしまう方へ
Day 34(お金と心の余裕)Day 35(限界のサイン)Day 8(すぐ辞める癖)Day 31(居場所選び)Day 1(考え方の土台)

前の話・続きから読みたい方へ
Day 35から、さかのぼってDay 12まで、時系列で読めます。

全体の考え方を知りたい方へ
Day 1Day 3に、このシリーズ全体の土台と地図をまとめています。

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